京の夏の旅で新選組ゆかりの島原の建物二箇所が公開されていたので、ついでに新選組ゆかりの地を回ってきました。
まずは壬生寺。はっきり言って新選組についての予備知識は持っていません。
途中に、新選組屯所 前川邸というのがありました。
いまはお土産物屋になっていました。
こちらは、八木家住宅
ここが新選組の最初の拠点になったそうです。先ほどの前川邸は、人数が増えてこちらだけでは賄えなくなって分宿したものらしいです。
中は撮影禁止。
最初の頃、武士出身の芹沢鴨らのやりたい放題にたいする処置を迫られて、農民出身の土方歳三らが芹沢らを暗殺したのもここだったとのことで、現場も見学することができました。
八木家はいまは和菓子屋さんをやっており、見学料にお茶のセットがついていました。
八木家の先祖は福井の朝倉氏だそうで、戦国時代に敗れた後亀岡の八木に隠れ住んでいたのが名前の由来らしいです。
壬生寺
壬生塚
新選組関連の墓が並んでいます。
近藤勇
本堂
律宗というめずらしい宗派です。律宗で有名な寺院は奈良の唐招提寺です。
本尊は地蔵菩薩。
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壬生から少し南へ行った、卸売市場のそばの、島原という地区です。
ここは、京都の花街の元締めがあったそうです。
ここができた当時、いろんな人がここを目指して移動した様が、当時伝え聞いた島原の乱のように思えたということから島原と呼ばれるようになったそうです。
島原には「置屋」と「揚屋」という業種があって、「置屋」は芸姑を養成し揚屋に派遣する業務を行っており、「揚屋」は大座敷と厨房を持ち、料理を用意して芸姑を置屋から派遣してもらい、茶会や句会、宴会を行ったそうです。遊郭と混同されそうですが、遊郭の女性は芸を持たず、逃亡を防止するために出入りが厳重に管理されていたのに対し、花街では芸を持ち、出入り自由となっていたそうです。また、芸姑の頂点に登りつめると太夫となり、正五位の位を与えられ、皇族にも謁見できる資格となるそうです。
ここは置屋の輪違屋。芸姑を派遣する方ですね。
いまは料理も扱い、茶屋として営業していますが、現役のお店です。
当時の太夫が客に送った営業用の和歌の下書きだそうです。
新選組が書いた書
近藤勇と書いてありますね。
新選組のメンバーがいっぱい書いておいていったそうですが、当時の新選組の評価はかなり悪かったので、ほとんど処分されてしまっていたそうです。
続いて、揚屋の角屋
芹沢鴨暗殺の際、芹沢を酔わせるためにメインの宴会を行ったところです。
ここはもう営業しておらず、展示用に保存されているようです。
芹沢鴨は角屋のかごに乗って八木家まで戻ったそうですが、これに乗っていたのかも。
だいたい新選組の概要がわかってきました。